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大阪地方裁判所 昭和60年(人)1号 判決 1985年3月18日

請求者

千田昭

佐野山満

佐野山正子

右三名代理人

野村公平

西川太郎

被拘束者

千田稔

右代理人

塩川吉孝

拘束者

千田弘子

岩井弘文

右両名代理人

岩本洋子

主文

一  拘束者らから被拘束者を釈放して、請求者らに引渡す。

二  本件手続費用は、拘束者らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求者ら

主文と同旨

二  拘束者ら

1  請求者らの請求を棄却する。

2  被拘束者を拘束者らに引渡す。

3  本件手続費用は請求者らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求の理由

1  請求者千田昭(以下「昭」という。)と拘束者千田弘子(以下「弘子」という。)は、昭和五三年二月一八日婚姻し、両名の間に、昭和五五年六月一一日被拘束者が、同五八年六月七日容子が出生した。

2  請求者昭は、昭和四九年九月から一貫して、実兄千田博(以下「博」という。)の経営する冠婚葬祭及びこれに関連する事業を目的とする株式会社○○○○○○○又はその関連企業に幹部職員として勤務し、同五七年六月には山口県厚狭郡○○町に自宅を購入し、家族とともに居住していた。

3  拘束者弘子は、昭和五六年五月ころから、○○○○教系の狂信団体「M」(一般に「A」の名で知られている。)の信者となり、その宗教的活動に没入し、二児を連れて各家庭を訪問し、書物を販売するなどして教宣活動を行い(ただし、請求者昭が右事実を知つたのは昭和五八年一二月である。)、家事も怠るようになつた。

4  拘束者弘子の説明によれば、Mには、厳しい戒律があり、信者はこれを絶対守らねばならず、具体的には次のことを実行すべきであるという。偶像崇拝は一切しない。また、現存する一切の組織・制度は腐敗した○○○が創設したものであるから、これを認め肯定する行為をしてはならない。したがつて、(1)神仏には手を合わさないこと、このため、仮に仲人役を引き受けても神式・仏式・教会式の場合参加してはならない。(2)正月はお祝いをしない。(3)子供の成人式や七五三、節句などのお祝いはしない。(4)国旗に敬礼しない。(5)国歌・校歌は歌わない。(6)国民年金や健康保険など保険には加入しない。(8)輸血をしない。(9)子供には義務教育しか受けさせない。

5  しかしながら、右教義は冠婚葬祭及びこれに関連する業務に従事する請求者昭の職業上の立場と相反するものである。また、請求者昭は、拘束者弘子と婚姻後、嫌気性球菌による大動脈弁閉鎖不全を起こして心臓手術を受け、ハンコック弁を挿入して九死に一生を得ている。右手術に際し、輸血は不可欠のものであつた。右体験からしても、輸血を禁ずる前記教義には、請求者昭は到底承服できない。仮に、子供らに万一のことがあつた場合、拘束者弘子が輸血を拒否すれば、子供らの生命の保証がないことを考えるとなおさらのことである。

6  そこで、請求者昭は、拘束者弘子に教団から離脱するよう説得したが、応じなかつた。このため、請求者昭はやむなく離婚を決意し、昭和五八年一二月二六日、拘束者弘子もこれに同意したので、同日、子供二人の親権者を請求者昭とする離婚届を作成し、同日山口県厚狭郡○○町役場に提出しようとした。ところが、本籍地でないため戸籍謄本が必要であるといわれ、当日は右届を提出できなかつた。なお、拘束者弘子は、そのまま大阪の実家に帰つた。

その後、請求者昭が戸籍謄本を添え、右離婚届を提出したところ、拘束者弘子が教団の指導を受けて離婚届の不受理届出をしていたため、受理されなかつた。

7  そこで、請求者昭は、再度拘束者を説得し、正常な家庭生活を築き直そうと考えて努力を重ねたが、拘束者弘子は翻意しなかつた。このようなことから、請求者昭は、前記博から拘束者弘子の行状を理由として辞職勧告を受け、昭和五九年二月二〇日、当時勤務していた株式会社○○○○○通商を退社せざるをえなくなつた。

8  同年四月二四日、請求者昭の就職のため、家族全員で大阪の拘束者弘子の実家近くのマンションに転居した。しかし、内定していた勤務先は勤務時間などの関係で勤務不可能と思われたので就職を断念した。そして、同月三〇日、請求者昭は、被拘束者を連れて、山口県の自宅へ戻り、請求者昭の姉夫婦である請求者佐野山満・同正子(以下「満」、「正子」という。)に被拘束者を預け、被拘束者の養育・監護を依頼した。

請求者昭は、昭和五九年五月一六日、高槻市所在の株式会社○○○○○○に再就職し、同社が枚方市に有する結婚式場の店長に就任し、現在に至つている。

9  昭和五九年一二月二三日午後一時ころ、被拘束者は請求者佐野山夫婦方で近所の友人と遊んでいた。このとき、拘束者両名が突如あらわれ、拘束者岩井弘文(拘束者弘子の父。以下「弘文」という。)が、制止しようとする請求者正子を押え込み、車に押しつけるなどし、その間に、拘束者弘子が泣き叫び抵抗する被拘束者を連れ去つた。

10  拘束者両名は、いずれも定職がなく、また、拘束者弘子は前記のとおり特異な教義を持つた教団の信者であり、被拘束者に不慮の事故があつたとき、拘束者が輸血を拒否すれば、被拘束者の生命の保証はない。さらに、幼稚園には行かせない、正月などの行事も祝わつたりしない、ということになれば、子供の情緒・情操に与える影響は甚大である。そのうえ、子供に義務教育以外の高等教育を受けさせないなどということは、父親たる請求者昭としては断じて承服できるものではない。

11  そもそも拘束者弘子は、請求者昭が子供らの親権者となることにつき、任意かつ明白に同意していたのである。

また、請求者昭が被拘束者の監護を委ねた請求者満(五四歳)は、中国電力株式会社○○○火力発電所長の重職にあり、同請求者と請求者正子(五一歳)との間には昭和六〇年四月に就職の内定した長男があり、第二種住居専用地域である通称○○○台に立派な居宅を構えて居住し、そこには被拘束者専用の部屋も設けている。昭和五九年一一月には、右請求者らは羽織はかまを作つて、被拘束者の七五三を祝うなどし、一家をあげて被拘束者を可愛がつている。

請求者昭も、度々電話をかけて被拘束者と話をし、暇を見つけては被拘束者に会いに行くなどしている。

被拘束者は、右のような恵まれた環境によくなじみ、昭和六〇年四月から幼稚園に入園(既に入園手続もすんでいる。)するのを楽しみにしていたのである。

また、請求者昭は、下関市あるいは宇部市へ転勤を希望し、実現の可能性もあり、実現すれば請求者満・同正子方で被拘束者と同居できる。

また、請求者昭は、拘束者弘子との離婚が成立すれば再婚して被拘束者とともに生活する予定である。

12  右のとおり、被拘束者にとつて、請求者らのもとで監護される方が幸福なことは明らかである。

したがつて、請求者らは、拘束者らに対し、人身保護法二条・同規則四条に基づき、被拘束者の釈放と引渡しを求める。

二  拘束者らの認否及び主張

1  認否

請求の理由1・2の事実は、認める。

同8のうち、拘束者弘子が、Mの宗教活動に没入し、二児を連れて各家庭を訪問し、書物を販売するなどして教宣活動を行い、家事も怠るようになつたとの点は、否認する。

同4は、否認する。

同5は、争う。

同6のうち、拘束者弘子が離婚に応じ、子供二人の親権者を請求者昭とする離婚届を作成し、提出しようとしたが戸籍謄本がないため受理されず、後日、請求者昭が再提出したところ、拘束者弘子が教団の指導を受けて離婚届不受理届出をしたとの点は、否認する。

同7は、認める。

同9のうち、拘束者らが被拘束者を大阪へ連れ帰つた日時は認めるが、その状況は否認する。

同10は、否認する。

同12は、争う。

2  主張

(一) 請求者昭は、昭和五九年五月一日、拘束者弘子と別居する際、長男の被拘束者を連れ去り、長女の容子は拘束者弘子のもとに残された。拘束者弘文は再三、山口県の佐野山家を訪れ、被拘束者も拘束者弘子が養育するから返して欲しいと懇願したが、請求者らは応じなかつた。

このため、拘束者弘子は昭和五九年一〇月二三日、請求者昭に対し、被拘束者の引渡しを求める調停を大阪家庭裁判所に申立て、第一回期日が同年一一月二九日に指定された。しかし、請求者昭は出頭せず、以後も出頭の意思がない旨伝えてきた。

同年一一月一日、請求者昭は、拘束者弘子に対し、同拘束者との離婚と子供二人の親権者を請求者昭と定めることを求める離婚訴訟を大阪地方裁判所に提起し(昭和五九年(タ)第三一七号)、これに対し、拘束者弘子は昭和六〇年一月二九日、離婚と子供二人の親権者を拘束者弘子と定めること及び慰藉料を請求する反訴を提起した(昭和六〇年(タ)第二〇号)。なお、前記調停は、右訴訟の結果待ちというような、いわば中止状態となつている。

(二) 右のとおり、請求者昭は、子供の引渡しを求める調停に出頭せず、話し合いによる解決を放棄し、裁判は長期化しそうな様子であつた。このため、拘束者弘子は、一刻も早く親子一緒の生活を始めなければ、いつ終わるかわからない裁判中に幼児期の二人の子供に取返しのつかないことが起こつてしまうかもしれないとの心配から、やむなく被拘束者を大阪の実家へ連れ帰つたのである。

(三)(1) 請求者昭は、拘束者弘子と別居したが、自身は大阪で社宅に住み、また仕事も多忙であつたため、幼児を養育する能力は全くなく、別居の日に直ちに被拘束者を、請求者満・同正子夫婦に預けた。また請求者昭は、拘束者弘子が実家に連れ帰つた長女容子については我れ関せずとの態度をとり、養育費の送金など一切せず、誕生日等に何の連絡もしなかつた。

(2) 請求者満・同正子も次のとおり養育者としては不適格である。

イ 請求者満は五四歳、同正子は五一歳であり、被拘束者にとつては祖父母と同年配である。そのうえ、右夫婦の一人息子も社会人であり、被拘束者と同年配の子供はいない。

ロ 請求者正子は、高血圧と更年期障害で健康を害しており、また、睡眠薬を常用し、胸部手術の既往症もあり、健康にはほど遠い人物である。

ハ 請求者満・同正子は、用事のあるときや、被拘束者の世話に疲れたときなどには、被拘束者を、妹のKに預けて外出していた。拘束者弘文が、山口県に行つて被拘束者を返してくれるよう頼んだときも、Kに預けており、被拘束者は山口県の親族間で「たらいまわし」にされていた。

(四)(1) 拘束者弘子がMに入信したのは、請求者昭が心臓手術を受けた際、その無事を必死で神に祈つたが、その神がMにいう神ではないかと思いあたつたからである。拘束者弘子としては、今後も信仰を捨てるつもりはないが、現在は二人の子供の世話に追われ、勉強会への出席も布教活動も全く行つていない。

(2) 請求者らは、Mの教義を曲解し、邪悪なものと決めつけ、輸血を拒否するとか、義務教育しか受けさせないとか、その他請求者昭と拘束者弘子の夫婦間で実際に起こつたこともない問題をとりあげ、あたかも右のような事実があつたかのごとくいつて、拘束者弘子が養育者として不適格であると主張する。しかし、これは、全くの空理空論である。

(3) ここに自分の幼い子供二人を自分の力で育てていこうとする意思と能力のある母親があり、現在母子三人が一緒に生活することに何の不都合もない。

これに対し、二人の子供の父親である請求者昭は、自分で子供を育てる意思も能力もなく、子供のうち一人だけを自分の姉夫婦(請求者満・同正子)の家に帰せと主張するのであつて、請求者らの主張の不当なことは明らかである。

三  拘束者らの主張に対する反論

1  幼児は母親が養育することが望ましいという考えは、一般に根強いものがあるが、これは、子の幸福のために母親による養育を回避すべき特段の事情があるときは覆えされるべきである。

稔が拘束者弘子のもとで養育・監護されるということは、Mという狂信的宗教の押付けになり、この問題を無視しても、拘束者弘子は養育・監護者としての意欲・能力及び適性に欠けている。

(一) 拘束者に排尿・排便という人間として基本的なしつけもせず、また、規則的な食事・早起の生活習慣も身につけさせていなかつた。

(二) 厚狭郡○○町に住んでいたころ、近所の遊び場で他の幼児たちと遊ばせることをしなかつた。

(三) 炊事の後片づけ、家の内外の清掃など被拘束者の安全及び衛生を維持するための環境づくりをしなかつた。

(四) 被拘束者を幼稚園に入園させることに反対し、義務教育以外の教育は不要であると主張し、また、被拘束者に対し、我国の昔話・童話などを読み聞かせたり、童謡を教えたりすることがなく、テレビの幼児向け番組など全く見せておらず、被拘束者の情操・知識・社会性を培おうとしなかつた。

(五) 寒い冬の日に、被拘束者を連れて小野田市内外を歩き廻り、被拘束者の口唇が切れ、鼻炎を発症させるなど、被拘束者の健康に関する配慮が欠けていた。

(六) 近隣との交際を嫌い、親族・姻族との親密な関係を作ることを嫌うなど、社会性のある成人らしからぬ態度をとり続けた。経済面でも最低限度の生活さえ維持できればよく、より豊かな生活を求めることは必要でないというような常識に反した意見を持ち、勤労意欲は非常に乏しかつた。

2  本件で信仰の自由が問題になるとすれば、それは意思能力が未だなく、拘束者弘子にごして行動したり、批判できない幼児である被拘束者の「信仰を強制されない自由」であり、拘束者弘子が被拘束者を養育することは被拘束者の右自由が侵害されることになる。

五  被拘束者代理人の主張

1  被拘束者の山口における生活は、請求者満・同正子の邸宅で、右請求者らによつて何不自由なく監護され、今春幼稚園に入園するよう手続がとられている。近所にはほぼ同じ年頃の二児がいて一緒によく遊んでいたようである。

請求者昭は、被拘束者に強い愛情をもち、毎日のように電話していた様子である。しかし、電話によつて果して真の親子関係が保てるかは疑問である。

2(一)  被拘束者の現在の生活状況は次のとおりである。拘束者弘文の自宅で、拘束者弘子の監護のもとに、妹容子とともに養育されている。同居者として右弘文、その妻及び右夫婦の子弘之がいる。右居宅は、請求者満宅と比較すると小さいが、環境は閑静であるし、問題はない。経済面も通常レベルで問題とすべきものはない。拘束者弘子はもちろん同居者全てが被拘束者に強い愛情をもつている。

被拘束者は、妹容子と家内で遊び、戸外に出ないようで、近所に友人もいないようである。近くに幼稚園はあるが、拘束者弘子は一年保育でよいと考え、今春の入園は予定していない。

(二)  拘束者弘子は、Mの信者であり、その戒律と監護との関係が問題となる。この点について、同拘束者は、請求者らが挙げる輸血については、自身の場合は戒律に従つて拒否するが、被拘束者の場合は、自己の一存ではなく、請求者昭との力関係で決することになろうとの考えをもち、また、七五三・クリスマス・正月・誕生日会等の祝については、必要がないと思う、ただし、拘束者弘文夫婦は月を変えて行つていると話す。

なお、同拘束者は、自己の信仰について、拘束者弘文夫婦も全く理解していないが、信仰をやめる気はないとの意向を明らかにしている。

3  以上の事実関係に照らすと、確かに、拘束者らが、山口で平穏に暮らしていた被拘束者を奪取してきたことは責められるべきではあるが、被拘束者の現状は、2(一)のとおり愛情をもつて養育されており、拘束者弘子の前記戒律による監護への影響も現在具体的に支障をきたしていると認められるものもないこと、及び幼児には母親の愛情が欠かせないこと等を考え合わせば、未だ被拘束者を請求者らに引渡す緊急性はないといえる。

したがつて、本件申立は棄却されるべきである。

第三  証拠<省略>

理由

一請求者昭と拘束者弘子が、昭和五三年二月一八日婚姻し、両者間に、長男の被拘束者(昭和五五年六月一一日生)、長女の容子(昭和五八年六月七日生)をもうけたこと、拘束者弘子が婚姻後Mの信徒となり、今後も同信徒たる意思をもつていること、同拘束者と請求者昭が昭和五九年四月三〇日以降別居し、同請求者が同年五月一日、被拘束者を請求者満・同正子に預け、以後被拘束者が請求者満・同正子らの肩書住居で監護されていたところ、同年一二月二三日、拘束者らが被拘束者を、大阪の拘束者らの肩書住居に連れ帰り、現在に至つていることは、当事者間に争いがない。

なお、<証拠>によれば、請求者昭と拘束者弘子間の離婚訴訟(本訴及び反訴)が当庁に係属中であることが一応認められ、この認定に反する証拠はない。

2 右事実と<証拠>によれば、被拘束者は現在四年八か月の幼児で、右請求者・拘束者の共同親権に服する関係にあるが、右請求者らの婚姻関係は、次のとおり破たんに瀕していることが一応認められる。すなわち、右拘束者は、前記信徒として、教義に従い、他教派・他宗教及びこれらと関連のあるものには一切関与してはならず、また、他についても教義に従つて律しなければならないとの態度を持し、一方、右請求者は、冠婚葬祭関連事業を営業目的とする会社勤務という職業上のほか、一般会社ママ生活上からも、右拘束者の態度、考え方には到底同調できず、離婚のほかないと考えている。この認定に反する証拠はない。

二1  ところで、拘束者らが意思能力のない幼児である被拘束者をその下で監護することは、当然に被拘束者の自由の制限を伴うので、それ自体人身保護法及び同規則にいう拘束に当るものと解すべきである。

2  そして、共同親権に服する幼児の引渡しを請求するときには、人身保護法による救済の要件である拘束の違法性は、幼児を夫婦のいずれに監護させるのが幼児のために幸福であるかを主眼として判断すべきである(昭和四三年七月四日最高裁判所第一小法廷判決・民集二二巻七号一四四一頁参照)。

3 右2の判断に当たつては、次の点の考慮が不可欠である。

(一)  被拘束者のような年頃の幼児(以下単に「幼児」という。)の養育には、なお、きめ細かな愛情が必要で、この点において、暖かさと親密さ及びきめ細かな愛情をもつ母親が、原則として、監護者たるに相応しいといえる。もつとも、右にいう愛情とは、理性を伴つたそれを意味するこというまでもなく、この点に関しては、少なくとも次のことを心掛け、実行すべきこと、現今では既に公知の事実となつている。

すなわち、幼児の育成に当たつては、常に、そのもつ子供らしさや可そ性を失わせることなく、自発性・創造性・自己制御能力を涵養して、思考柔軟で個性豊かな社会性のある人間たらしめるよう努めねばならない。より具体的・例示的にいえば、何よりも先ず、①固定観念をもつて上から指示・命令して従わせるようなことは避け、②できる限り横(平等)関係、つまり同じ年頃の仲間・友達との交わり・遊び(集団生活)を通じてそれらを体得させることが必要である。遊びのなかには「きまり(ルール)」すなわち「規律」があり、これを守らなければ仲間に入つて楽しめない。子供はそのことを身をもつて体得し、これによつて集団生活にはよるべき規律が必要であり、これを守らなければその一員となりえないことを自然に会得する。そこには、押しつけや強制はなく、自主性・自発性がある。また、自我の目覚めを促進し、弱者に対するいたわりが必要であるという貴重な社会性をも自然に身につける。のみならず、子供は遊びのなかで創意工夫を凝らすことにより独創性・創造性を養い、あるいは、相手の出方を推測して対処するという、事に当たつての即応能力をも身につける。しかも、遊びは、自然と接触する機会を多くして、自然を愛し敬い、いかに人工的技術社会の進展があろうと、常に自然を侮ることなく畏敬し、自然に対し人間としての謙虚さを失わない素地を形成する。

これに反し、①の養育法によるときは、子供の情緒を不安定にし、子供らしさ、すなわち、伸び伸びとし、生き生きとしたはつ刺さ、おおらかさを失い、とかく人の顔色を伺つて行動し、自発性・創造性がないか、または、極めて乏しく、個性のない人間になるおそれが多い。

さらにまた、人間らしい暖か味をもち、創造性に富んだ社会人に育つには、幼少時から情操を豊かにすることを欠かせない。これには、民話、おとぎ話・童話(メルヘン)、伝承的諸行事が相当の役割を果す。

(二) 右(一)にみた点に関し、相当程度欠けるものがある場合には、それがどのような理由に基づくものであれ、客観的には幼児の養育について十分な自覚を欠き、理性に欠けるものであつて、真の愛情を有するものとはいえず、監護者たるに相応しくないものというべきである。

三そこで、本件について以下検討する。

1  <証拠>によれば、次の事実が一応認められ<る。>

(一) 請求者昭と拘束者弘子は、前記一2のような事情から互いに妥協点を見出せず、このため、右請求者は昭和五九年四月三〇日、当時親子四人で居住していた、右拘束者の現住所近くのマンションから出て右拘束者と別居するに至つた。その際、右請求者は右拘束者に対し、離婚の際は、二児は自己が引取つて育てる等と告げ、被拘束者を連れて家を出た。容子を背にしていた右拘束者は、右請求者の後を追い、被拘束者を取り戻そうと努めたが果せなかつた。

(二)  請求者昭が右のような行為に出たのは、子供のためには拘束者弘子に養育を託すのは不適当との考えからであつた。その理由は、右拘束者が教団ないし信徒の集会に赴き、あるいは布教活動を行うときには、常に二児を伴い、そのため、子供らの食事も定時にとらせぬことが少なくなく、就寝も夜遅くなるため、子供の健康に悪いと思つたほか、教義によるとして、次のような態度を改めないことから、子供が片寄つた社会性のない人間になる、また、右請求者自身九死に一生をえることができた輸血についても、教義上許されないと明言していたので、万一子供らに必要な事態が生じた場合、子供らの生命が危ぶまれる等との強い危ぐを抱いていたからであつた。すなわち、右拘束者は右請求者に対し、戒律は厳守すべきで、これによれば、輸血は認められず、また、神仏参詣はもとより、正月・ひな祭り・たんごの節句・七夕祭り・七五三・誕生日の祝・クリスマス等は一切してはならず、子供にも守らせなければならない旨話し、実行していた。事実、被拘束者は、請求者正子に連れられて外出中、右請求者が地蔵菩薩をみて拝んだところ、そのようなことをしてはいけないととがめる態度を示した。

(三)  ところで、被拘束者を山口県に連れ帰つた請求者昭は、同年五月一日、最も信頼し、被拘束者もよくなついていた、姉夫婦の請求者正子・満に事情を話し、自己が落着いて監護できるようになるまでの間、代つて監護してほしいと頼んだ。右請求者夫婦はもともと被拘束者を可愛がり、請求者昭一家のことを心配していたので直ちに快諾し、以来深い愛情をもつて養育してきた。殊に、請求者正子は、母親代りに細かい配慮を尽し、それまで被拘束者が自身でできなかつた排尿も自立させ、排便も事前に知らせることができるようにしつけた。歯磨きやパジャマの脱着等も子供向けテレビ番組をみせるなどして、自分でできるようにした。そのほか、就寝時刻も、遅い習慣から寝つきの悪い癖がついていたのを正常に戻し、添寝により被拘束者のいびきを聞いて鼻の疾患を察知し、直ぐ診断・治療を受けさせ、右疾患は同年一二月二三日当時治癒近い状態になつていた。右疾患は同年四月三〇日以前から発症していたもので、請求者昭はこれに気付き、拘束者弘子に、医師にみせ治療を受けさせるよういつていたが、そのままになつていた。請求者正子が診断を受けさせたとき、医師は、もう少しで蓄膿症になるところであつたと話した。副鼻腔炎その他の合併症であつた。また、右請求者は、被拘束者をできるだけ戸外で同じ年頃の子供達と遊ばせるようにしていた。前記排尿の点も、遊び友達が自分でしているのをみて、これを真似ることから始まつたのである。また、右請求者らは、二年保育を必要と考え、今春入園できるよう幼稚園への手続を終えている。なお、請求者正子には拘束者ら主張のような健康不安はない。右請求者らの居宅は、その主張どおりのもので環境もよい。請求者満は中国電力○○○火力発電所長の職にあり、温厚な人柄である。被拘束者は、右請求者らのもとで、子供らしく伸び伸びとした生活のうちに必要なしつけを受け、平穏な日々を送つていた。請求者昭は、被拘束者を愛し、少なくとも月一回は直接会うように努めるとともに、殆ど毎日電話で話し合うようにして、親子としての感情の交流を図つていた。

(四)  ところが、同年一二月二三日午後一時過頃、拘束者らは、密かに請求者満方の勝手口から庭に入り、近所の子とそこで遊んでいた被拘束者を、拘束者弘子が突然抱き上げて屋外へ逃げ出し、これをみて驚き、取り戻そうとする請求者正子を拘束者弘文が遮つて、拘束者らのもとに連れ帰つた。拘束者らの右行動は、被拘束者に対する愛情に駆られてのものであつた。

その間、同年一〇月下旬、拘束者弘子は請求者昭を相手に大阪家庭裁判所に被拘束者の引渡を求める調停の申立をしたが、これを除き、拘束者らがその主張のように請求者ら方を訪れるなどして被拘束者の引渡しを求めた事実はない。また、被拘束者が拘束者主張のような「たらい回し」の処遇を受けたこともない。

(五)  拘束者らは、右一二月二三日以後被拘束者を拘束者弘文方で養育しているが、いずれも被拘束者を深く愛している。同居者は、拘束者主張どおりで、被拘束者は妹容子とも仲良くしている。経済的には、専ら拘束者弘文夫婦の援助に待ち、子供の養育は拘束者弘子がしている。なお、右拘束者は保母を志して目下そのための通信教育を受けている。拘束者弘文夫婦の収入は、その主張の五〇万円には達しないとしても、生活に困るまでのことはない。また、住環境も請求者満方のそれに比すると、劣りはするが、監護に適しないというようなものではない。

(六)  拘束者弘子は、真面目な内向的性格で、広い交際は好まないタイプである。被拘束者の養育についてもこれが現われ、戸外で友達と交遊させるよりも、家内でひとり、ないし妹容子と遊ばせる方が多い。現住居の近所にどのような子供がいるかも知つていない。

(七)  右拘束者は、Mの熱心な信徒で、子供の養育もその教義にふれることがないよう心掛ける旨を明らかにしている。そして、右教義によるとして、(二)の各種の祝いや祭り等をしない。教義によれば、他教派・他宗教はもちろんこれらに関連するもの、ないし偶像崇拝に関連をもつものは排除しなければならないから、というのがその理由である。したがつて、民話やメルヘンや伝承的諸行事についても全て同様である。ただ、誕生日の祝については、右と理由を異にし、被造物を高め、創造者でない被造物である人間に注意を集めることになるから、というにある。

なお、政治的組織に関わるべきでないということからか、選挙も否定する。

拘束者弘文夫婦は、拘束者弘子の右態度に賛成してはいないが、あきらめて放置している。

2  右認定の事実によると、拘束者らは、請求者らのもとで、前記二3(一)の観点にそう愛情をもつて養育されていた被拘束者を、実力をもつて自己らのもとに連れ去つたもので、違法であり、さらに、拘束者弘子の養育法には、右観点からみて、理性に欠けるところが多く、したがつて、右の違法性は顕著であると認められること、次のとおりである。

すなわち、右拘束者が被拘束者に対して禁じる前記祝・祭の諸行事は、その起源をたどれば、確かに神道等、右拘束者の信奉する宗教と異なる教派・宗教に由来し、あるいは関連性をもつものが多い。しかし、現在では既に、そのうちの多くのものが事実上宗教的色彩をなくし、たとえば、無事越年を迎えることができたことを喜び、感謝し(各人それぞれ感謝の対象を異にし限定はない。)同時に将来の発展を期して努力することを誓う等の意味をもつた一般的市民行事としての性格を有するものに変化してきている。しかも、前記祝・祭の行事は、その年におけるそれぞれの節目として、子供らに喜びと感謝の念を新たにさせ、かつ、情操を豊かにする良き機会を提供する性質をもつ。民話にも右同様の起源ないし関連性をもつものもあるが、これらとてその多くのものが、今ではこれに接するものに宗教そのものを意識させず、専ら人としての生き方・有り方、考え方等幾多先人の貴重な経験に基づいてえられた生活の知恵を、素朴ななかにロマンとユーモアを味わせながら、あるいは機智に富んだ面白さ楽しさを与えながら、情緒豊かに教示する。そのうえ、子供らに、さらに広く新しい知識をえたいとの意欲を芽生えさせる。メルヘンも同様で、子供らに夢と希望を与え、情操を豊かにし、創造性を養う。このようなものを子供に禁じることは、固定観念をもつて、伸びようとする芽を摘み取るに等しく、かくては子供を畏縮させて、自発性・積極性に乏しく、情操の欠けた、個性のない枯渇した人間たらしめることになりかねない。右拘束者の前記認定の態度に徴すると、他にも右類似の制約的行為が少なくないことが推認できる。さらに、右拘束者が友達との交わり遊びに積極的でないことも軽視し難い。

また、選挙の点にしても、選挙権は選挙権者がより良い社会を実現させるために行使しうる基本的人権に関わるものである。右拘束者がこれを自身行使するか否かは別として、未だ批判能力を有しない子供に、ただ頭から嫌忌すべきものと教え込むようなことでもあれば、それは子供の基本的人権を侵すもので、許容されるべき性質のものではない。

いずれにしても、右拘束者が特定宗教を信仰し、その教義を実践することに対しては、原則として、他の容かいを許すべきでないこというまでもないことながら、本来子供が有し、侵されてはならない権利・自由を侵犯するような行為についてまで右のことがいえるのではない。

以上みた点において、右拘束者の養育法には理性に欠けるものがあるといわざるをえない。

右拘束者の行為を黙認している拘束者弘文も同様である。

他方、請求者正子は、真の愛情をもつた母親に劣らぬ態度をもつて養育し、その夫の請求者満も被拘束者を愛し、右請求者と協力し、また、よく援助して養育していた。

請求者昭は、現実には右請求者らに被拘束者の養育を委ねていたものの、被拘束者を柔軟性に富み、広い視野をもつた社会適応性のある人間たらしめるよう努め、父親として十分な愛情を有している。

以上みた諸事情を勘案するとき、現状においては、拘束者らは、拘束者弘子が実母で被拘束者を深く愛し、また、被拘束者が妹容子と仲良く暮らしていることや、拘束者弘文がその妻とともに拘束者弘子に惜しみ無い協力援助をしていること等を考慮しても、なお、請求者らに比し、監護者たるに相応しくないというべきである。

したがつて、拘束者らの被拘束者に対する拘束は違法性が顕著であるというべきであるから、被拘束者を釈放して請求者らに引渡すのが相当である。

四右にみたとおり、請求者らの本件請求は理由があるからいずれも認容し、人身保護法一六条三項により、被拘束者を拘束者らから釈放して、請求者らに引渡すこととし、手続費用の負担について人身保護法一七条・同規則四六条、民訴法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(和田功 辻川昭 丸地明子)

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